基礎理論コース QRコード収録項目

第7章 現代社会と社会変革

第一部 哲学 第2章 第3章
第二部 経済 第4章 第5章 第6章
第三部 階級闘争論 第7章(このページ) 第8章 第9章

【コラム】第二次世界大戦後における米ソなどによる軍事紛争

【コラム】ASEAN(東南アジア諸国連合)共同体と東南アジア友好協力条約(TAC)

【コラム】労働者階級が83.5%

【コラム】協同組合運動

 ●第1次世界大戦・第2次世界大戦  ●ナチズム ●核兵器禁止条約
 ●人間環境会議(ストックホルム会議)  ●パリ協定  ●バンドン10原則
 ●アルジェリア戦争  ●非同盟運動  ●国際連盟・国際連合
 ●国際的な人権保障の発展を示す
一連の国際条約・宣言
 ●ダーバン宣言  ●女性に対する暴力撤廃宣言
 ●ASEAN主導による東南アジアにおける平和の枠組みづくり(ASEAN地域フォーラム、東南アジア非核地帯条約、南シナ海行動宣言)  ●ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC)  ●トラテロルコ条約
  ●(中南米における)表面化した逆流   ●IS(Islamic State)、ISIL、ISIS  ●オイル・ショック
 ●EU  ●「オキュパイ(占拠)運動」  ●「サンダース現象」
 ●財界  ●経済財政諮問会議  ●ユネスコの「学習権宣言」
 ●政党  ●多数者革命  ●イギリスにおける労働組合活動の自由の獲得
 ●資料・労働基準法・労働組合法の抜粋  ●特定政党・特定候補支持義務付けの誤り  ●全労協(全国労働組合協議会)
 ●ストックホルムアピール署名運動  ●非同盟諸国首脳会議参加国・組織  ●民主青年同盟

第1節


【コラム】第二次世界大戦後における米ソなどによる軍事紛争 274ページ

 第2次世界大戦後、国際連合などの平和を目指す国際機構ができたあとも、大国などによる軍事紛争は絶えませんでした。

 1950年6月25日、北朝鮮軍が三八度線を越えて韓国軍を攻撃し、朝鮮戦争が引き起こされました。はじめは北朝鮮軍の猛攻で、韓国は崩壊寸前になります。しかし、ソ連が中国代表権問題で国連をボイコットしている中で、アメリカのイニシアチブで国連安全保障理事会緊急会議は北朝鮮の侵略と断定し、アメリカを中心とした国連軍の派遣を決定したのです。9月15日の国連軍の仁川上陸を契機に戦局が変わり、38度線を越えた国連軍によって北朝鮮全域が占領される寸前になります。この状況の中で、10月に中国の人民義勇軍の100万を超す大規模な参戦があり、国連軍と韓国軍を38度線以南に追いやったのです。

 このとき、アメリカの大統領トルーマンは、「原爆使用を考慮中」と声明を出しますが、原子兵器の絶対禁止と国際管理、最初に使用する政府を戦争犯罪人と見なす、というストックホルム・アピール署名が世界で5億人集まり、その国際世論がついに原爆使用を断念させます。51年の中頃には、ほぼ38度線を挟んで膠着状態になり、7月から休戦会談が始まり、53年7月27日、ようやく休戦協定が成立しました。3年にわたる戦争で、韓国軍、北朝鮮軍、国連軍、中国義勇軍の死者およそ90万人、民間人を入れると200万人を超える犠牲者が出たと推計されています。

 ベトナムでは、第2次世界大戦後もベトナムに居座り続けた旧宗主国であるフランスが、ベトナムの抵抗闘争に敗れ、1955年のジュネーブ協定ののち撤退しました。しかし、アメリカはこの協定の調印を拒否し、北緯17度線を境にベトナム南部に成立した「ベトナム共和国」を事実上操る形で、かいらい政権を樹立しました。これに対し、南ベトナムの民衆とベトナム民主共和国(北ベトナム)は、米国の軍事介入に対し徹底抗戦をはかりました。そしてぼうだいな犠牲を払ったベトナムは、73年にパリで和平協定を勝ち取り、75年には南ベトナムの首都サイゴン(現在ホーチミン市)を陥落し、ついに米軍を撤退させ、75年4月に南北統一を果たしました。第2次世界大戦後、30年にわたって続けられた戦争が、アメリカの完全敗北とベトナム側の勝利によって、終結しました。世界史上、最大、最強の帝国主義アメリカが全力投球した侵略戦争がうち破られたのです。

 アメリカはベトナム戦争に2500億ドルの膨大な戦費を使い、延べ260万人の兵力を派遣しました。南ベトナムには最高時に54万9500人の米軍が駐留します。さらに、アメリカ陣営では、韓国、フィリピン、タイ、オーストラリア、ニュージーランドが兵力を派遣し、最高時の兵力は6万人を超えます。戦争の犠牲者は、北ベトナム・解放戦線側が戦死者97万6700、負傷者130万とされ(推定)、アメリカ側の戦死者が22万5000、負傷者75万2000といわれています(推定)。

 しかし、その後も大国による覇権主義的な軍事行動はやむことはありませんでした。1979年12月には、ソ連がアフガニスタンに侵攻し当時のアミン政権を倒し、傀儡政権であるカルマル政権を樹立しました。このことは、世界的な反発と批判を集中させ「社会主義」の権威を失墜させました。なお、ソ連は1989年にアフガニスタンから撤退しました。

 1989年のマルタでの米ソ首脳会談は、世界的な米ソ冷戦の終結を意味するものとなりました。しかし、1990年には8月に、10万人のイラク軍がクウェートに侵攻し、全土を制圧しました。国際社会は国連安保理事会で決議を上げ経済制裁などの措置を実施しました。米国は安保理の決議に基づき、多国籍軍を主体に1991年1月にイラクへの攻撃を実施しました。最終的にイラクはクウェートから撤退しました。この戦争の原因は、イラクによる地域的な軍事的覇権主義にありましたが、同時に問題の平和的な解決を軽視し、武力攻撃による解決を急ぎすぎたアメリカの態度にも大きな問題がありました。

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【コラム】ASEAN(東南アジア諸国連合)共同体と東南アジア友好協力条約(TAC) 284ページ

 1967年に、東南アジアの国々による共同体として結成されました。当初は「共産主義の脅威」から地域をまもる目的で結成されましたが、のちにアメリカから距離を置くようになりました。

 その後、ASEAN加盟国が中心となり、1976年に東南アジア友好協力条約(TAC)が締結されました。武力行使放棄、紛争の平和的解決が原則です。2009年にはEUとアメリカが加入。参加国は57か国、世界人口の72%(2014年現在)。ASEANは、TAC締結を契機に、国連憲章とバンドン会議(1955年開催。紛争の平和的解決をふくむ平和10原則を採択)の精神にもとづき、平和なアジアをめざすとりくみを強めています。こうした変化は、アジア人どうしが殺し合い、血を流したベトナム戦争の痛苦の体験が大きく影響しています。

 2015年12月31日には、「政治・安全保障」「経済」「社会・文化」の3本柱からなるASEAN共同体を創設しましたが、その基礎となる憲章には、「主権、領土、政治的経済的安定を脅かす政策及び活動(自国領土使用をふくむ)への不参加」の原則も盛り込まれています。ASEANは、南シナ海における領土紛争(海底油田やガス田にたいする中国の覇権主義的態度と、それをめぐるベトナムや関係諸国との領有権に関する対立)の平和的解決にねばり強くとりくんでいます。

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第1次世界大戦・第2次世界大戦 274ページ

 第1次世界大戦(1914~18年)は、30数か国をまき込む帝国主義戦争でした。主に、イギリス・フランス・ロシアとドイツ・オーストリアとの植民地、勢力圏を奪い合う帝国主義戦争でした。戦争は、イギリス側が勝利しドイツ側が敗北します。この戦争で約900万人の犠牲者がでました。第2次世界大戦(1939~45年)は、
①ファシズムや軍国主義(ドイツ・イタリア・日本など)と民主主義の戦争、
②ファシズムや帝国主義の民族抑圧にたいする植民地・半植民地の民族解放戦争、
③帝国主義や大国(ソ連をふくむ)相互の戦争、
という3つの性格をもっていましたが、全体としては、①のファシズムと民主主義の戦争という性格が発展していきました。この戦争で5千数百万人の犠牲者がでています。

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ナチズム 274ページ

 1933年に、ドイツでアドルフ・ヒットラーが率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)が権力を掌握しました。これは典型的なファシズム政権でした。

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核兵器禁止条約 275ページ

 核兵器の開発・実験・生産・製造・保有・移転・配備・使用・威嚇としての使用などを包括的に禁止するという画期的な条約で、国連で2017年7月7日、122か国の賛成で採択されました。条約の採択に向けては、被爆者を筆頭に、世界の市民社会が重要な役割を果たしました。条約は、2021年1月22日、批准国が50か国を超え発効しました。2021年末現在86か国が署名、59か国・地域が批准しています。世界で唯一の被爆国であるにもかかわらず、日本政府は5核保有国などと歩調を合わせて会議をボイコットし、この条約に署名も批准もしようとしていません。
 なお、核兵器禁止条約全文訳は、インターネットで以下のところなどで見ることができます。
・核兵器禁止条約外務省暫定的な仮訳
 https://www.mofa.go.jp/mofaj/dns/ac_d/page23_002807.html
・核兵器禁止条約の日本語訳全文署名50カ国朝日新聞デジタル
 https://www.asahi.com/articles/ASK9L56MHK9LPTIL00C.html
・ヒロシマ平和メディアセンター核兵器禁止条約全文
 http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=73528
・核兵器禁止条約全文(仮訳)日本共産党
 https://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-07-09/2017070905_01_0.html

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人間環境会議(ストックホルム会議) 275ページ

 1972年6月5日から16日まで、スウェーデンのストックホルムで国際連合人間環境会議が開かれました。世界で初めての大規模な政府間会合で、113カ国が参加しました。キャッチフレーズは「かけがえのない地球」です。会議と並行して、市民による「市民広場」「環境広場」が開催され、国連、各国政府、市民運動の協力した取り組みが行われました。

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パリ協定 275ページ

 2015年12月のパリで開催された第21回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP21)において、2020年以降の温室効果ガス排出削減などのための新たな枠組みとして採択されました。

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バンドン10原則 276ページ

1.基本的人権と国連憲章の趣旨と原則を尊重する。
2.全ての国の主権と領土保全を尊重する。
3.全ての人類の平等と大小全ての国の平等を承認する。
4.他国の内政に干渉しない。
5.国連憲章による単独または集団的な自国防衛権を尊重する。
6.集団的防衛を大国の特定の利益のために利用しない。また、いかなる国も他国に圧力を加えない。
7.侵略または侵略の脅威・武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立をおかさない。
8.国際紛争は平和的手段によって解決する。
9.相互の利益と協力を促進する。
10.正義と国際義務を尊重する。

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アルジェリア戦争 277ページ

 アルジェリアは19世紀の前半からフランスの植民地になっていました。第2次世界大戦後、一定の改革がおこなわれましたが、あくまでフランス本土の一部とされ、独立は認められなかったのです。その不満が爆発し、アルジェリア民族解放戦線が結成され、1954?62年にかけて、フランスにたいする民族解放戦争がつづけられました。フランスでドゴール政権が発足すると、フランス政府はアルジェリアの自決権を承認し、アルジェリアは独立することになります。この戦争をつうじて、フランスは古典的な植民地支配の限界を痛烈に体験することになります。

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非同盟運動 277ページ

 植民地体制の崩壊を受けて、1961年、ユーゴスラビアのベオグラードで第1回非同盟諸国首脳会議(25か国)がひらかれました。主な提唱者は、ユーゴスラビアのチトー、インドのネルー、エジプトのナセル、インドネシアのスカルノらでした。非同盟運動は、1955年の「アジア・アフリカ会議」の「平和10原則」をふくむバンドン宣言の精神を受け継いで出発しました。大国主導の軍事同盟に加わらず、世界平和と民族自決権の確立、公正な世界秩序の樹立をめざしました。現在は120か国(国連加盟国の6割)が参加しています。

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国際連盟・国際連合 278ページ

 20世紀に創設された集団安全保障を理念とする国際的平和機構です。集団安全保障とは、軍事同盟を否定し、すべての国(敵も味方も)の参加によって集団的体制をつくり、その体制内部の相互の努力によって侵略を防ぎ平和をまもるという体制のことです。
 国際連盟は、第1次世界大戦後、1920年に創立され(ただし、提唱したアメリカは議会の反対により不参加)、最初のころは小国間の紛争の調停に一定の役割をはたします。しかし、大国間の戦争を防ぐことはできず、第2次世界大戦の勃発を許してしまったのです。
 この反省をふまえて、国際連合が創設されます。ファシズムや軍国主義とたたかう諸国を母体にして誕生します。1945年4~6月にアメリカのサンフランシスコの会議で国連憲章が採択され、同年10月に発効。翌46年1月にロンドンで第1回国連総会がひらかれました。

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国際的な人権保障の発展を示す一連の国際条約・宣言 283ページ

 世界人権宣言や国際人権規約など20世紀中頃につくられた国際的な人権保障の基準を土台に、20世紀後半から21世紀にかけて女性、子ども、障害者、少数者、移住労働者などの弱い立場にある人びとへの差別をなくし、その尊厳を保障する国際規範が発展しました。その国際規範とは、1965年のあらゆる形態の人種差別撤廃に関する国際条約、1973年のアパルトヘイト犯罪の禁止及び処罰に関する国際条約、1979年の女性差別撤廃条約、1984年の拷問および他の残虐な、非人道的なまたは品位を傷つける取扱いまたは刑罰に関する条約、1989年の子どもの権利条約、1990年の移住労働者権利条約、1992年の「少数者の権利宣言」、1993年の「女性に対する暴力撤廃宣言」、2006年の障害者権利条約、強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約、2007年の「先住民の権利宣言」などです。

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ダーバン宣言 283ページ

 2001年9月、南アフリカのダーバンで国連が開いた「人種主義、人種差別、排外主義および関連する不寛容に反対する世界会議」で採択された宣言。宣言では、人種差別を「すべての人権の重大な侵害」とし、奴隷制を「人道に対する犯罪」と規定し、植民地主義は「いつ、どこで起ころうとも非難され、再発は防止しなければならない」と明記し、植民地支配と奴隷制度は過去にさかのぼって非難されなければならないと宣言しました。

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女性に対する暴力撤廃宣言 283ページ

 1993年12月、第48回国連総会において採択された宣言のこと。宣言は前文と本文6条からなり、前文では、女性への暴力は人権の侵害であり、男女間の歴史的不平等な力関係の現れであることなどが明記されています。「女性に対する暴力」とは、「身体的、性的、精神的に有害または苦痛となるジェンダー(社会的性差)に基づくあらゆる暴力行為であって、公的生活で起こるか私的生活で起こるかを問わず、脅迫、強制、自由の束縛を含む」(第1条)ものであると定義し、具体的には、家庭内での暴力(妻に対する夫の暴力、幼女虐待、夫婦間のレイプなど)、社会生活における暴力(職場や学校でのセクハラ、人身売買、強制売春など)、国家によって行われる暴力(身体的、性的、心理的暴力)の3つを挙げています(第2条)。女性に対する暴力の撤廃は、1979年に採択された女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(女性差別撤廃条約)上の義務であるとされました。

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ASEAN主導による東南アジアにおける平和の枠組みづくり(ASEAN地域フォーラム、東南アジア非核地帯条約、南シナ海行動宣言) 284ページ

 ASEAN(東南アジア諸国連合)は、地域の安全保障を議論するためにASEAN地域フォーラムをつくります(1994年)。このフォーラムには、ASEAN諸国だけでなく、アメリカ、日本、韓国とともに北朝鮮も参加しており、安全保障を話し合う東アジアでの唯一の「場」になっています。さらに、1995年に当時のASEAN加盟7カ国とカンボジア、ラオス、ミャンマーのあわせて10カ国で東南アジア非核地帯条約が締結されました(発効は1997年3月27日)。この条約は、ASEAN10か国を対象に、核兵器の保有、開発を禁止したものです。
 その後、ASEANを中心とした国々は、中国との南シナ海における資源争いを平和的に解決するために、2002年に「南シナ海行動宣言」を出しました。実際、中国とベトナムでは南沙諸島(スプラトリー諸島)で海洋資源をめぐって武力衝突が発生しています。こうした不幸な軍事衝突を避けるために、「行動宣言」が出されました。しかし、「行動宣言」には法的拘束力がありません。この「南シナ海行動宣言」を法的拘束力のある「行動規範」にするための外交努力が続けられています。ASEANは紛争を軍事力でなく「平和的に解決」するための努力をねばり強く行っています。

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ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC) 285ページ

 すべてのラテンアメリカ諸国33か国が参加し、発足した組織(2011年発足)。将来的な中南米諸国の統合を念頭に置いています。

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トラテロルコ条約 285ページ

 1962年のキューバ危機を契機に、ラテンアメリカの軍事的非核化構想が進展した結果、1967年に成立した世界最初の非核兵器地帯条約です。正式には「ラテンアメリカ及びカリブにおける核兵器の禁止に関する条約」といいます。

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(中南米における)表面化した逆流 285ページ

 ベネズエラでチャベス前政権とマドゥロ後継政権の失政と変質のもとで、市民の政治的自由と人権が蹂躙されている問題。食糧や医薬品が欠乏し、450万人(人口の10数%)が国外に逃れ、さらに増え続けています。国連人権高等弁務官事務所は、反政府派への弾圧が横行し、「法の支配が欠如」していると報告しています。このベネズエラ危機が、ラテンアメリカ地域全体に分断をもたらし、CELACは事実上の機能停止に陥り、その前途には大きな困難と曲折が予想される事態が生れているということです。

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IS(Islamic State)、ISIL、ISIS 286ページ

 日本語では「イスラム国」としばしば訳されます(なお、国家とは認められていないため、メディアでは「過激派組織イスラミック・ステイト」とも報道されます)。イラクとシリアにまたがる地域で活動しているいわゆるイスラム過激派のことをさします。

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オイル・ショック 287ページ

 第4次中東戦争以降、アラブ諸国はパレスチナ住民のイスラエルの占領支配に反対する闘争を支持するため、イスラエルに加担する国々へ石油戦略を発動しました。これにより、世界的な大不況が起こりました。

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EU 287ページ

 ヨーロッパ(欧州)共同体の略称のことです。1992年にオランダのマーストリヒトで締結された条約に基づき、欧州諸国の経済的・政治的統合を目指しています。現在、加盟国は28か国。

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「オキュパイ(占拠)運動」 287ページ

 2011年9月からアメリカでおきた、「ウォール・ストリートを占拠(Occupy)せよ!」という市民運動のことをさします。拡大する経済格差やそれをすすめる米国政治へのあり方に抗議する運動でした。

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「サンダース現象」 287ページ

 2016年のアメリカ大統領選挙でおきた、バーニー・サンダース上院議員を大統領候補にしようとする運動のうねりをさします。サンダースは、大学教育の無償化、国民健康保険制度の充実などをかかげ、民主党の予備選挙に立候補しました。サンダースはみずからを「民主的社会主義者」と自称し、民主党の内部では異色の候補者でしたが、若い世代を中心に急速に支持を拡大しました。大統領選挙以後もそのうねりは継続しています。
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第2節


財界 289ページ

 大企業の企業経営者らの社会。日本の財界は、現在、主として日本経済団体連合会(日本経団連)、経済同友会(同友会)、日本商工会議所(日商)などに組織され、財界3団体といわれます。財界は、大企業の立場で個別企業や個別業種間の利害の調整をおこない、さらに、大企業全体の立場から、政治や社会に能動的に働きかけ、大企業本位の政治をおこなっています。
 日本経団連は主として大企業によって構成され、同友会は大企業経営者の個人加盟によって成り立ち、日商は大企業だけでなく多くの中小企業が加盟しています。なかでも日本経団連の影響力は格段に大きく、「財界総本山」とよばれることもあり、その会長は「財界総理」とも称されてきました。2002年5月に旧経団連と日経連(日本経済団体連合会。労働問題への対応を目的に1948年4月に発足)が統合して、現在の日本経団連が設立されました。

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経済財政諮問会議 290ページ

 新自由主義的「構造改革」を推進するために、財界のリーダーが直接参加して司令塔的役割をはたしました。2001年1月に内閣府に設置された合議制機関のことです。

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ユネスコの「学習権宣言」 299ページ

 国際的な教育と文化の普及の団体であるユネスコが、1985年3月29日にだした宣言のことです。そこでは、学習する権利を「人間の生存にとって不可欠」として位置づけ、「基本的権利の一つ」として定めています。

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第3節


【コラム】労働者階級が83.5% 302ページ

 階級構成というのは、労働力人口が階級別にどのような数的構成になっているかをしめすものです。日本の労働者階級は、一貫して増大し、戦前では農民よりも少なかったのですが、戦後増加し続け1970年には59%を超え、2015年には83.5%となっています。2015年の労働者階級の内部構成を見ると、生産的労働者の比率が引きつづき減り、非生産的労働者の比重が増大しています。特にサービス労働者の増加が目だっています。また不安定雇用労働者も急増しています。非正規雇用労働者は2000年から2015年の15年間で1.5倍に増加しています。自営業者では、政府・財界の農業切り捨て政策のなかで農民が1960年の31%から2015年の3%へと減少してきています。農林漁業従事者数は実数ではわずかながらですが増加しています。また都市自営業者はやや減少傾向にあります。これは大企業の海外移転による国内需要の低下と、自営業への大企業進出による経営悪化と整理統合が影響を与えています。生産的労働は物質的生産物である使用価値を生み出します。直接的にものを作り出さなくても生産物を作り出す協業を行う労働も生産的労働です。一方、商業、金融業、保険業、サービス業などの労働は非生産的労働です。

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【コラム】協同組合運動 305ページ

 労働者が暮らしを自主的にまもり発展させる運動である協同組合運動もまた、労働運動のなかで重要な役割をはたしてきました。

 協同組合運動は、労働組合運動と同じように、19世紀初頭のイギリスで労働運動の一環として生まれ、発展しました。それは、1830年代から40年代にかけて高揚した労働組合運動と普通選挙権を要求する労働者の政治運動であるチャーチスト運動とを背景にして、1844年にロッチデール・パイオニアという協同組合が労働者の経済生活向上をめざして結成され、その後全国的な組織に発展していきました。この運動のなかで定められたロッチデール原則は、今日も指導理念として生きています。つまり、(1)社会的、政治的な、宗教的な差別を受けない加入の自由、(2)組合員は決定にあたり、出資額ではなく1人1票の投票権をもつ、(3)出資金にたいする配当制限、(4)剰余金は、協同事業発展のための準備金とするか、利用高により分配する、(5)協同の原則を教育するための基金の積み立て、(6)協同組合間の連帯・協同。
 資本主義のもとでの協同組合は、消費者である労働者、農漁民や自営業者などの小生産者が独占資本による独占価格のおしつけや生産物の買いたたきなどにたいして、生活と営業をまもる役割をもっています。

 しかし、一面では資本主義経済の法則のもとで運営される経済組織であり、資本主義経済のもとでの激しい競争のなかにおかれるため、度をはずれた銀行からの借り入れ、それをもとにして設備投資に走ったり、協同組合の労働者の賃金・労働条件を切り下げたり、協同組合運動の原点から離れて事態を切り抜けようとする傾向が生まれたりします。

 協同組合が民主的に発展するためには、協同組合員が協同組合の民主的運営の確立のために積極的に活動するとともに、協同組合労働者が団結し、自分たちの生活と権利をまもり、協同組合の民主的運営をすすめるために努力する必要があります。さらに、協同組合の組合員である労働者・勤労人民の諸要求の実現のためには、生活と平和・民主主義をまもる統一戦線の結成と発展の運動に積極的に参加することが必要です。

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政党 308ページ

 社会のなかにはいくつかの階級があり、それぞれが政治権力の獲得をめぐって争っています。こうした政治権力獲得のために共通の理念と政策によって結合する人びとの結社が政党です。政党は近代社会の議会制のもとで生まれました。資本主義社会の2大階級は資本家と労働者ですから、政党も資本家階級の政党と労働者階級の政党の2つが基本的な政党です。その中間にいろいろな政党がつくられ、また資本家階級内部でも利害や政策のちがいから政党が分かれることもあります。それぞれの政党が、どういう階級の利益を代表しているかということは、どういうスローガンをかかげているかということだけでなく、実際にどういう行動をしているかということによって、判断しなければなりません。
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多数者革命 309ページ

 たとえば日本社会の現状(304ページ表7-1参照)を見ると、労働者階級が83.5%、自営業の人びとが12.2%であり、合計すると勤労人民は95.7%になります。国民のなかで圧倒的な多数派になります。また資本家階級は2.5%になりますが、このなかには中小零細企業主もふくまれ、独占大企業に属する人びとはほんのひとにぎりにすぎません。人びとは、必ずしも、自分が置かれている立場にふさわしい意識をもっているわけではありませんが、それぞれの人が自分のおかれている立場を理解するようになると、いまの社会を労働者・国民本位に変えることを望み、団結できる人が、本当に国民の圧倒的多数になります。ここに日本社会における多数者の結集による変革が可能であるという客観的な根拠があります。
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イギリスにおける労働組合活動の自由の獲得 313ページ

 1799年の団結禁止法のその後もストライキが刑事罰で弾圧を受けたり、資本家からはストライキの損害賠償を請求されたりしますが、労働者階級のねばり強いたたかいによって、1875年に「共謀罪および財産保護法」(=刑事免責)、1906年に「労働争議法」(=民事免責)を制定させ、1913年の「労働組合法」で政治活動も認められ、労働組合活動の自由を法的な権利として獲得しました。
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資料・労働基準法・労働組合法の抜粋 314ページ

労働基準法 第1条(労働条件の原則)

 労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。
2 この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない。
第2条(労働条件の決定)
 労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである。
2 労働者及び使用者は、労働協約、就業規則及び労働契約を遵守し、誠実に各々その義務を履行しなければならない。
第3条(均等待遇)
 使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない。
第4条(男女同一賃金の原則)
 使用者は、労働者が女性であることを理由として、賃金について、男性と差別的取扱いをしてはならない。
労働組合法
第1条(目的)
 この法律は、労働者が使用者との交渉において対等の立場に立つことを促進することにより労働者の地位を向上させること、労働者がその労働条件について交渉するために自ら代表者を選出することその他の団体行動を行うために自主的に労働組合を組織し、団結することを擁護すること並びに使用者と労働者との関係を規制する労働協約を締結するための団体交渉をすること及びその手続を助成することを目的とする。
2 刑法(明治四十年法律第四十五号)第三十五条の規定は、労働組合の団体交渉その他の行為であつて前項に掲げる目的を達成するためにした正当なものについて適用があるものとする。但し、いかなる場合においても、暴力の行使は、労働組合の正当な行為と解釈されてはならない。
第7条(不当労働行為)
 使用者は、次の各号に掲げる行為をしてはならない。
一 労働者が労働組合の組合員であること、労働組合に加入し、若しくはこれを結成しようとしたこと若しくは労働組合の正当な行為をしたことの故をもつて、その労働者を解雇し、その他これに対して不利益な取扱いをすること又は労働者が労働組合に加入せず、若しくは労働組合から脱退することを雇用条件とすること。ただし、労働組合が特定の工場事業場に雇用される労働者の過半数を代表する場合において、その労働者がその労働組合の組合員であることを雇用条件とする労働協約を締結することを妨げるものではない。
二 使用者が雇用する労働者の代表者と団体交渉をすることを正当な理由がなくて拒むこと。
三 労働者が労働組合を結成し、若しくは運営することを支配し、若しくはこれに介入すること、又は労働組合の運営のための経費の支払につき経理上の援助を与えること。ただし、労働者が労働時間中に時間又は賃金を失うことなく使用者と協議し、又は交渉することを使用者が許すことを妨げるものではなく、かつ、厚生資金又は経済上の不幸若しくは災厄を防止し、若しくは救済するための支出に実際に用いられる福利その他の基金に対する使用者の寄附及び最小限の広さの事務所の供与を除くものとする。
四 労働者が労働委員会に対し使用者がこの条の規定に違反した旨の申立てをしたこと若しくは中央労働委員会に対し第二十七条の十二第一項の規定による命令に対する再審査の申立てをしたこと又は労働委員会がこれらの申立てに係る調査若しくは審問をし、若しくは当事者に和解を勧め、若しくは労働関係調整法(昭和二十一年法律第二十五号)による労働争議の調整をする場合に労働者が証拠を提示し、若しくは発言をしたことを理由として、その労働者を解雇し、その他これに対して不利益な取扱いをすること
第14条(労働協約の効力の発生)
 労働組合と使用者又はその団体との間の労働条件その他に関する労働協約は、書面に作成し、両当事者が署名し、又は記名押印することによつてその効力を生ずる。 第16条(基準の効力)
 労働協約に定める労働条件その他の労働者の待遇に関する基準に違反する労働契約の部分は、無効とする。この場合において無効となつた部分は、基準の定めるところによる。労働契約に定がない部分についても、同様とする。
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特定政党・特定候補支持義務付けの誤り 316ページ

 日本では、第2次世界大戦後を見ても、かつては日本社会党や民社党、今日では社会民主党、立憲民主党、国民民主党などの特定政党・特定候補支持を労働組合が機関決定で決め、それを組合員に義務づけ、選挙カンパや選挙運動を強制していることが少なくありません。これは労働組合と政党を混同し、労働組合を特定政党の下請け化する重大な誤りです。第1に、それは労働組合自身が、日本国憲法で保障された基本的人権の1つである思想・信条の自由、「政党支持の自由」をふみにじる反民主主義的な誤りです。第2に、支持政党のちがいにかかわらず、要求で団結する大衆組織であるという、労働組合の初歩的で基本的な性格を逸脱し、団結を破壊する決定的な誤りです。第3に、特定政党支持を労働組合に押しつけ、労働組合を政党の下請け機関化することは、その政党の発展にとっても大きな問題になります。労働組合に依存する傾向が強まり、政党としての独自の活動で国民の支持を集めたり、財政活動をすることが弱くなり、近代政党としての発展に大きな妨げになるといえます。
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全労協(全国労働組合協議会) 319ページ

 1983年3月、労働戦線の右翼的再編に危機感をもった総評元議長の太田薫、同元事務局長の岩井章、同元議長の市川誠らが中心になってつくった労働運動研究センター(労研センター)が発足しました。この労研センターが、「連合に反対するすべての労働者・労働組合の結集」と総評左派や純中立組合の受け皿としてよびかけ、結成された共闘組織が全労協です。全労協はナショナルセンターではないとして、連合にも統一労組懇が追求するナショナルセンター(全労連)にも参加できない労組の結集をめざし、1989年12月、旧総評の左派系労組により結成されました。
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ストックホルムアピール署名運動 322ページ

 1950年3月にスェーデンのストックホルムで行われた世界平和擁護常任委員会が核兵器の禁止を世界に呼びかけたアピール。
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非同盟諸国首脳会議参加国・組織 322ページ

◇加盟国=120ヵ国(2012年8月現在)
アジア(21ヵ国) アフガニスタン、インド、インドネシア、カンボジア、シンガポール、スリランカ、タイ、朝鮮民主主義人民共和国、ネパール、パキスタン、バングラデシュ、フィリピン、ブータン、ブルネイ・ダルサラム、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、モルジブ、モンゴル、ラオス、東チモール

中東(14ヵ国) アゼルバイジャン、アラブ首長国連邦、イエメン、イラク、イラン、オマーン、カタール、クウェート、サウジアラビア、シリア、パレスチナ、バーレーン、ヨルダン、レバノン

アフリカ(53ヵ国) アルジェリア、アンゴラ、ウガンダ、エジプト、エチオピア、エリトリア、ガーナ、カボベルデ、ガボン、カメルーン、ガンビア、ギニア、ギニア・ビザウ、ケニア、コートジボアール、コモロ、コンゴ、コンゴ民主共和国、サントーメ・プリシンベ、ザンビア、シエラ・レオーネ、ジブチ、ジンバブエ、スーダン、スワジランド、セイシェル、セネガル、赤道ギニア、ソマリア、タンザニア、チャド、チュニジア、中央アフリカ、トーゴ、ナイジェリア、ナミビア、ニジェール、ブルキナファソ、ブルンジ、ベニン、ボツワナ、マダガスカル、マラウィ、マリ、南アフリカ、モザンビーク、モーリシャス、モーリタニア、モロッコ、リビア、リベリア、ルワンダ、レソト

ラテンアメリカ(26ヵ国) アンチグア・バーブーダ、エクアドル、ガイアナ、ガテマラ、キューバ、グレナダ、コロンビア、ジャマイカ、スリナム、セントヴィンセント・グレナディーンズ、セントクリストファー・ネーヴィス、セントルシア、チリ、ドミニカ、ドミニカ共和国、トリニダード・ドバゴ、ニカラグア、ハイチ、パナマ、バハマ、バルバドス、ベネズエラ、ペルー、ベリーズ、ボリビア、ホンジュラス

オセアニア(3ヵ国) バヌアツ、パプア・ニューギニア、フィジー

独立国家共同体(2ヵ国) ウズベキスタン、トルクメニスタン

◇オブザーバー国・組織=17ヵ国・10組織 アゼルバイジャン、アルゼンチン、アルメニア、ウクライナ、ウルグアイ、エルサルバドル、カザフスタン、キルギス、クロアチア、コスタリカ、セルビア、タジキスタン、中国、パラグアイ、ブラジル、ボスニアヘルツェゴビナ、メキシコ、モンテネグロ

アジア・アフリカ人民連帯機構(AAPSO)、アラブ連盟、プエルトリコ独立新運動(NMIP)、アフリカ連合(AU)、イスラム諸国会議(OIC)、South Center(SC)、国際連合(UN)、カナカ社会主義民族解放戦線(FLNKS)、世界平和評議会、英連邦事務局

※このほか、日本AALA、日本原水協を含む45のゲスト組織
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民主青年同盟 326ページ

 正式名称は、日本民主青年同盟(略称、民青、民青同盟)。青年の切実な要求にこたえ、生活の向上、平和、独立、民主主義、社会進歩をめざす自主的な青年組織です。科学的社会主義と日本共産党綱領を学び、自然や社会、文化について広く学んで人間性をはぐくみ、社会の担い手として成長することをめざし、日本共産党を相談相手に、援助を受けて活動しています。民青同盟の前身は、1923年4月5日に創立された日本共産青年同盟(共青)です。戦前・戦後を通じて、「侵略戦争反対」「国民と青年こそ社会の主人公」の立場を掲げ、どんなときにも青年の利益をうらぎらず、社会進歩をすすめてきた輝かしい歴史と伝統をもつ青年組織です。
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