基礎理論コース QRコード収録項目

第5章 資本主義と搾取のしくみ、資本蓄積とその矛盾

第一部 哲学 第2章 第3章
第二部 経済 第4章 第5章(このページ) 第6章
第三部 階級闘争論 第7章 第8章 第9章

■【補論1】人口減少社会と賃金・社会保障 174ページ>
■【補論3】生産性の向上と賃金 185ページ
■【補論5】協同組合で働く労働者と搾取 203ページ
■【補論6】恐慌の歴史 210ページ
■【コラム】生産的労働と非生産的労働 196ページ
■【コラム】恐慌の原因としての部門間不均衡 11

【補論1】人口減少社会と賃金・社会保障 174ページ

◆衝撃的な「人口減少」予測

 日本社会でいま、「人口減少」が大きな社会問題となっています。2017年現在の日本の人口はおよそ1億2000万人ですが、国立社会保障・人口問題研究所が2017年4月に公表した「将来推計人口」によれば、これまでの推移が将来そのまま続くと、2065年には8,808万人、2115年には最も厳しい仮定で3,787万人にまで減少すると推計しています。

 人口減少の影響はすでに様々な分野で表れています。多くの産業で人手不足が問題となり、国内の消費需要の縮小と小売店の売上不振、中小業者の倒産・廃業など、バランスのとれた国民経済を維持することができるかどうか、懸念が広がっています。また、東京など大都市部をのぞいて、地方では鉄道・バスなど公共交通網の維持が困難となり、生活の利便性をもとめる人口流出=過疎化が加速して地域社会の崩壊につながりかねない深刻な問題となっています。さらに、少子化と高齢化が同時に進むなかで、年金や医療、介護などの社会保障分野では制度の「持続可能性」が問われ、財源不足を理由に「給付抑制」と「負担増大」がおこなわれており、高齢者の尊厳ある生活が脅かされています。

 社会に大きな影響をもたらす人口減少の原因は、出生率の長期的な低下です。人口が長期的に維持される出生率の水準は「人口置換水準」と言われ、日本の場合は2.07となっています。しかし、出生率は1974年にこの水準を割り込み、それ以降約40年の平均は1.4にとどまっています。

 人口減少問題の焦点は出生率の低下つまり少子化にありますが、その経済的・社会的背景として、ここまでの基礎理論学習と関連して、以下の点が重視されなければならないでしょう。

◆労働力の価値を下回る低賃金

 第一に、労働力の価値を下回る低賃金の蔓延です。先に学んだように(4章3節168ページ)、労働力の再生産費には次世代の労働者となる子どもたちを産み育てるための費用も含まれます。しかし、低賃金かつ不安定就業を余儀なくされる非正規雇用が拡大し、家族形成費を確保できない賃金水準の労働者が増大しています。さらに、最低賃金の水準が低いために、非正規フルタイムの賃金が生活保護制度の想定する最低生活費を割り込んでしまうという深刻な事態も生じています。

 低賃金と不安定雇用が広がり、結婚・出産・育児の経済的基盤が失われていることが、少子化(出生率の低下)の大きな原因となっています。

◆社会保障制度の弱さ

 第二に、日本では家族形成を支える社会保障が脆弱であることです。現代の資本主義社会では、現実には労働力の再生産は賃金のみではなく社会保障制度に支えられることで実現されています。資本主義社会のもとでは生活の「自己責任」原則が強力な社会的規範として支配的になりますが、失業と貧困によって労働力の再生産が危機に陥った歴史を経て、労働者のたたかいによって社会保障制度が整備・発展させられてきました。

 現代の社会保障は、収入の中断・喪失に対する「所得保障」と、保育・教育・医療・介護などの「社会サービス給付」からなります。これらの制度によって賃金だけではまかなえない生活ニーズに対応することで、労働力の再生産(労働者階級の再生産)が実現されているのです。

 このような現代資本主義国家における社会保障の役割から見ると、日本社会は社会保障制度が十分に機能しているとはいえず、生活を賃金に依存する度合いが異常に高い社会なのです。そして、90年代半ば以降の「構造改革」(詳しくは第6章3節を参照)のもとで、長期にわたって賃金と社会保障の水準低下が続いた結果、労働力再生産の社会的条件が縮小しているのです。

◆出産・子育てが不利になる社会環境

 第三に、出産・子育てが女性の職業生活において不利になる労働環境、社会環境の問題です。女性の就業率が上がり「男性は仕事、女性は家事・育児」という古い性別役割分業の客観的条件が崩れてきているにもかかわらず、長時間労働の蔓延と職場の人員不足、出産・子育て支援政策の不備、性別役割分業意識の残存などにより、女性にとって仕事と家庭の両立は非常に困難な状況にあります。保育所も不足し、男性の育児・家事への理解と協力が不十分なままでは、仕事を続けたい女性にとって出産・子育ては職業生活上の「リスク」になってしまうのです。

◆求められる経済・社会・政治の転換

 人口減少問題を考える際に、どのような視点が必要でしょうか。日本経済への影響の大きさから政府や経済界も危機感をもたざるを得ず、「少子化対策」をうたった政策や提言を発表してきました。しかし、そこで重視されているのは経済成長、労働生産性、労働力確保など大企業の当面の利益であり、実行されてきたのは労働法制の規制緩和や社会保障の削減など、むしろ「少子化」を促進するような施策でした。このような方向では、決して「人口減少」「少子化」を打開することはできません。

 また、2018年12月に安倍政権によって「出入国管理法」改正がおこなわれ、労働力不足への対策として、外国人労働者の受け入れの拡大がおこなわれています。すでに外国人技能実習生が最低賃金以下で長時間労働を強いられるなど過酷な労働実態と人権侵害が問題となっていますが、制度の根本的な改善がなされないまま「安価な労働力」として外国人労働者の受け入れがすすめられるようなことになれば、人権問題の拡大が大きな社会問題となるでしょう。

 「人口減少社会」への対応で求められているのは、労働法制のあり方を根本的に見直して、人間的な労働と生活のあり方をめざすことです。長時間労働を是正し、最低賃金を大幅に引き上げ、安定した暮らしができる賃金を保障すること、非正規労働者の労働条件を抜本的に改善して格差を是正し、男女の賃金格差をなくすことなどです。また、古い性別役割分業を克服し、男女が真に対等平等で多様な家族のあり方を選択できるように、その経済的な条件、社会的規範をととのえることです。さらに、外国人労働者の人権が守られるように、労働条件・社会保障・地域の受け入れ体制を早急に整備することも喫緊の課題です。そして、日本経済のあり方を大企業の利潤優先から人々の生活優先へと転換すること、若者が将来に希望の持てる政治へと転換することが求められています。

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【補論3】生産性の向上と賃金 185ページ

 生産性の向上にかかわって、「生産性が上がれば、賃金原資も増え賃上げが可能となる。だから賃金を上げるためには、その前に労資が協力して生産性を上げる必要がある」という考え方があります(生産性賃金論)。しかし、この考え方は利潤が増えれば、その一部を賃金にも回すことができる(回すか回さないかは、資本家次第)というものにすぎず、次の諸点で誤っています。

 第1に、資本主義社会の賃金は労働力という商品の価格であって生産物の分け前ではありません。資本家に機械や原料を売る人が受けとるのは機械や原料という商品の価格であって生産物の分け前ではありません。賃金の場合もまったくそれと同様です。

 第2に、「生産性が上がれば賃上げの原資が増える」わけではありません。労働生産性の上昇とは、支出される労働量が同じままで生産物の量が増大することです。この場合、商品1個あたりの価値が小さくなることになります。もし、ある企業の労働生産性が向上し、個々の企業での商品の個別的価値が社会的平均的価値より小さくなり、そしてもし、その企業がその商品を市場で社会的価値(価格)で売った場合、その企業は両者の差額を特別のもうけとして手に入れることができます。つまり、生産性が上がれば賃上げの原資が増えるのではなく、企業の利潤が増えるのです。賃金は利潤と比べて相対的に低下させられるのです。

 第3に、労働生産性の向上がすべての産業に波及し、とくに生活必需品の分野に拡大されていくと、その結果として生活必需品の価値(したがって労働力の価値も)が小さくなり、必要労働時間が短くなり、その分だけ剰余労働時間が長くなり、資本家の剰余価値が増大し、ここでも利潤と比べた賃金は相対的に低下します。

 第4に、現実の「生産性向上運動」では、常に労働強化や労働時間の延長、さらには、より低賃金の非正規労働者への入れ替えなどをともなって進められます。そのために労働者にたいする搾取はいっそう強化されていくのです。

 第5に、「そうはいっても、うちの会社では、労働者が協力した結果、生産性が上がり会社の利潤も増えたので賃金も上がったではないか」という意見がでてきます。しかし、それは「生産性の向上」によって上がったのではなく、労働組合の賃金闘争の結果として上がったか、あるいは資本の側が労資協調と搾取強化に労働組合を引き入れるねらいをもった、見せかけの「譲歩」にすぎないものです。賃金の上昇は、資本家の取り分としての利潤と労働者の賃金との分配をめぐる闘争の結果ということです。

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【補論5】協同組合で働く労働者と搾取 203ページ

 資本主義社会では、協同組合で働く労働者も搾取されているということになります。協同組合経営は、企業などとちがって、本来は利潤追求を目的としている組織ではありません。また、出資者である協同組合の組合員が対等平等に1人1票の議決権をもつ社会化された経営(社会的所有)であり、株式会社のように1株に1票の議決権を基礎に、1人の大株主や少数のグループが支配することを保障する私企業(形態としては社会的ですが、本質的には私的所有)ではありません。

 したがってそこに結集される労働者の労働は、「自発的労働」、賃労働を問わず、資本家の金もうけのためではなく、直接的には出資者である協同組合の組合員全員のために、間接的には社会全体のためにおこなわれるべきものです。

 一見すると、そこでの理事者と労働者の関係は企業における資本と賃労働との関係ではなく、搾取関係はもはや存在しないように思えます。

 しかし、第1に、協同組合経営といえども資本主義社会のもとでのきびしい企業間競争のなかで経営を維持、発展させていくためには、たえず経営や設備、技術を競争相手以上に改革していかなければなりません。そして、そのためには協同組合で働く労働者がつくりだした労働の成果の一部(剰余労働)を原資として一種の「資本」蓄積をしていかなければなりません。

 第2に、もしも仮に協同組合が全出資者=全員労働者であるとすれば、そこでの労働者が剰余労働をおこなっているとしても、そこでは搾取は存在しないといえるでしょう。なぜなら自分たちの剰余労働の成果を自分たち全員の「資本」の果実として取得することができるからです。

 ところが、こんにちのわが国での現実の各種協同組合経営は全出資者=全員労働者の形態をとっておらず、そこで働く労働者は協同組合経営に雇われて働く労働者なのです。そして、その労働者の労働の成果の一部(剰余労働)が協同組合「資本」として蓄積されるのであり、そこでは協同組合「資本」と賃労働の搾取関係が存在することになるのです。

 第3に、資本主義社会では協同組合といえども資本主義的なきびしい企業間競争のもとにおかれている以上、経営を存続させていくためには、たえず設備、技術の改革のために投資をしなければならず、そうしなければつぶされてしまいます。そのために協同組合「資本」の蓄積をすすめるばかりでなく、場合によっては銀行からの資金の借り入れも必要となり、現に多くのところで、しかもかなりの比率でおこなわれています。そこから当然ながら銀行への利子の支払いを余儀なくされていきます。

 ところで、この利息分は協同組合で働く労働者の剰余労働の成果の一部を、それにあてなければなりません。そして、この部分も明らかに銀行資本が協同組合をつうじて、労働者を搾取しているものといわねばなりません。

 以上の点からみて協同組合経営に働く労働者は、その経営のもつ特殊性(したがって労働者のもつ任務の特殊性)にもかかわらず、企業の労働者と同様に搾取されているということです。

 協同組合経営で働く労働者は、以下の3点が実践上重要になってきます。

 ①何よりも資本主義社会全体のなかで搾取されている労働者階級の一員として、労働組合に団結し、みずからの生活と権利をまもるために、たえず理事者側にたいして、賃金や労働条件の改善を要求してたたかい、とくに理事者側が非民主的運営をおこない、労働者にたいして不当なしわよせをおこなってくる場合には断固としてたたかうこと。

 ②他方で社会全体での搾取強化に反対し、産業別、地域別、全国的に、賃金、労働時間、労働条件の改善をめざす制度闘争の先頭にたってたたかうこと。

 ③また、その任務の特殊性にもとづいて、協同組合それ自身の健全な発展を勝ちとるために、一方では理事者側にたいして、くり返し協同組合の理念と原則にもとづく民主的運営を要求し、それに労働組合の立場から参加し協力していく活動を強めること。

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【補論6】恐慌の歴史 210ページ

 イギリスは1825年、世界最初の恐慌におそわれました。19世紀はじめの産業革命の一応の完成をへて、資本主義的再生産の軌道の確立を見たそのときに、恐慌が起こったのです。恐慌→不況→活況→繁栄、そしてまた恐慌へと産業循環をくり返すことは、資本主義に固有の、さらには資本主義そのものの運動の具体的な形態にほかならないのです。

 資本主義的生産関係が、次つぎに新しい国ぐにで発展するにつれて、それらの国ぐにもまた恐慌におそわれました。また資本主義の一連の主要な国ぐにが、産業革命をへて資本主義的な大規模生産に移り、世界の多くの国ぐにを資本主義経済に引き込み、おたがいに経済的なつながりが強まってくると、恐慌は世界的性格をもつようになり、1857年には世界恐慌として発現しました。そして、資本主義的生産関係の未発達の国ぐにをも恐慌にまきこんでいきました。

 資本主義の生産力の増大にともなって、恐慌の規模は大きくなり、その破壊力も増大します。1873年の世界恐慌を契機に資本主義世界は、大不況とよばれる長期的停滞の過程に入りました。産業循環をくり返しながらも繁栄局面を充分に見ることなく、また恐慌へとおちこんでいったのです。資本主義はそれに対応して、独占の成立、金融資本の形成、保護関税、植民地政策の強化を進めました。大不況は、自由競争段階の産業資本主義のゆきづまりの結果であり、こうして、資本主義は新たな段階──独占資本主義の段階に移っていきました。

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【コラム】生産的労働と非生産的労働 196ページ

 資本主義のもとでの生産的労働という用語は、通常、2つの側面から規定されています。第1の内容は物質的生産である使用価値をつくりだす労働であるということです。人間社会にとって必要な有用物、つまり、物質的財貨を生産するという意味で使われます。第2の内容は、資本によって雇用され、資本に利潤をもたらす労働のことを示します。前節でみたように、資本主義という特殊な経済原理のなかで、社会的分業を構成し、抽象的人間労働として価値を形成する労働という意味です。この2つのしかたで、生産的労働は規定されています。この両者が重なっているものはわかりやすいのですが、それがずれている場合もあります。生産過程をふくむ資本-賃労働関係においては、この2つの規定がともに満たされています。しかし、商業部門、金融部門のように、生産過程をふくまない産業では、資本に利潤をもたらしながらも新たな価値を形成しない産業部門もあります。

 また家庭内でおこなわれる家事労働のように、社会の総労働の一部をなし、人間社会の再生産にとって不可欠な労働であっても、資本賃労働の関係によって担われていなければ利潤を生む労働ということにはなりません。もちろん、このことはけっして家事労働が社会にとって非生産的であるということを意味しているものではありません。

 経済学における生産的労働、つまり、利潤を生む労働かどうかは、その労働が社会関係としての総労働の一部を構成し、その労働が賃労働という形態でおこなわれるかどうかにかかわる問題であるということです。経済学では、原理的に、このように考え、この定義にあてはまらない労働を非生産的労働と考えますが、この生産的労働、非生産的労働という定義のしかたは、私たちが日常的に使っている「生産的」「非生産的」の意味と異なっているので、注意が必要です。また、社会的分業がさまざまに進行、発展するなかで、ある具体的な産業の労働が生産的労働であるのかどうかは、簡単にいえない側面をもってきています。そのために、科学的社会主義の理論においても、生産的労働とは何かについての研究と論争がおこなわれています。

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【コラム】恐慌の原因としての部門間不均衡 210ページ

 

 社会的再生産がとどこおりなくおこなわれるためには各部門間の均衡のとれた展開が必要です。ここでは資本主義的再生産の過程を「生産手段生産部門」と「消費資料生産部門」に分けて解説します。

 資本主義における拡大再生産は、「生産手段部門=第1部門」と「消費資料部門=第2部門」の均衡を柱に、各部門間の均衡のもとに進行しなければなりません。しかし資本主義のもとではそれぞれの資本によって無計画的・無政府的にすすめられますから、均衡の達成は「それ自身1つの偶然」(『資本論』)でしかありえません。

 資本主義の拡大再生産はものをつくるための投資、生産を拡大するための投資によってすすめられますから、生産手段部門=第1部門が優先的に拡大し、消費資料部門=第2部門がとり残される傾向があります。しかし第1部門の発展は最終的には第2部門の消費需要によって可能になりますから、部門間の不均衡が拡大し、生産手段部門と消費資料部門の不均衡が顕在化するようになると、その矛盾が過剰生産恐慌という爆発につながるのです。

 なお経済学で「部門間の不均衡」というときには、多くの場合、第1・第2部門間の不均衡を意味しますが、不況や恐慌につながる不均衡が生じるのは商品別の生産部門の不均衡についてもいえることです。

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